「手柄」について
単なる息抜きとして、何となく寝る前に読み始めました。
(他に読むべき本がたくさんあるのですが。。。)
その中で、少し気になる場面が出てきました。
わずか、3千人の兵で、2万人の兵を壊乱させた主人公ですが、それは状況のなせる業であったとし、少しも自分の手柄だとは思っていません。
征夷大将軍になる少し前の、足利尊氏は、この主人公に対して、
『腹は立ったが、一方では痛快』だと感じていました。
なぜなら、 当時(鎌倉幕府崩壊直後)、世の中が乱れ、
”ちょっとしたことでも、自分の手柄だ”と主張する輩がはびこっていたからです。
これを読んで、いろいろなことを考えてしまいました。。。
塾や予備校でよくやっている、合格実績っていったい何でしょう!
あれも、「他人の手柄を、さも自分の手柄のようにひけらかしている一例」ではないでしょうか?
がんばったのは生徒であって、合格したのも生徒です。塾は、そのお手伝いをちょっとしただけではないでしょうか?
そして、お手伝いをしたのは、塾だけではないはずです。
学校も、そして保護者の方もみんな含まれると思います。
もしも仮に、本当にその塾の力(?)で合格したのだとしても、
それを声高にさけぶことは、その塾に通っていた生徒さんには、いったいどういう影響を与えるのでしょう?
「私は、あの塾に通ったから合格したんだ」
すると、そういう成功体験を持った生徒さんは、将来自分が厳しい局面に立たされたときに、どういう考え方をするでしょうか?
「誰か詳しい人に、やり方を教わって、その通りやればいいんだ」
そしてもし、それで結果が出れば、ますます自分で何とかしよう!という気持ちが育つ機会を失い続けるでしょう。
もし、不幸にも結果が出なければ、「あいつが悪かった」と他人のせいにしてしまうでしょう。(最近、変な事件も多いですよね)
そして、このような”指示待ち人間”は、残念ながら社会では認められません。
これからの時代、ますますその傾向は強まるでしょう。
そこまで生徒さんの将来のことをしっかり考えて、ああいうことをしているとは、ちょっと思えません。
もちろん、しっかりした塾や先生もいるでしょうが、業界全体としては、
魑魅魍魎の世界だなと、本を読んで感じました。