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できることと、やらないこと

秋葉原の事件について、いろいろと考えていました。

どんな理由があるにせよ、あのような犯罪は許されません。

しかし、同時に以前から不思議に思っていたことを、思い出しました。

★不思議に思っていたこと

友達と仲良く話していて、いきなり彼を殴ることはできます。

(ここで、「できます」とは、「やろうと思えば、実現可能」と言う意味)

でも、普通そんなことはしません。それはなぜ?

A1. その後、その友達との関係が悪くなると困るから?

では、街を歩いていて、普通の人に、いきなり殴りかかることはできます。

でも、普通そんなことはしません。それはなぜ?

A2. 取り押さえられて、警察に突き出されるから?

では、まったく知らない外国のスラム街を一人で歩いていて、

必ず襲われるでしょうか?

(その外国は、警察組織もしっかりしておらず、そのスラム街の人々は基本的に運命共同体的存在)

A3. そんな状況でも、普通に経済活動を行うことの方が多いです。(もちろん事件になるリスクは、他の状況に比べれば高いですが)

少なくとも、アメリカ・アジア・アフリカの貧困外で、買い物をしたことはあります。(ボラれてはいますが。。。身包みはがされるようなことには合わなかった)

なぜでしょう?

やろうと思えば、確かに出来る、けどやらない。

ここには、どんな力が働いているのでしょう?

歴史を振り返って見ると、

・ 争いの原因の多くは、お互い防衛的な意識から生まれている

・ したがって、必ずしも殺す必要はないし、まして非戦闘員まで殺す必要はない

・ 源平が争っていた頃、源氏はそれまでの戦争のやり方(名乗りを上げて、一騎討ち)を変える事によって勝利した

・ 織田信長は、足軽を立派な兵士として扱うことによって、勝利した

・ ナチス・ドイツは、民族の殲滅を画策し、実行に移した

・ 旧日本軍は、非戦闘員に対しても、虐殺的な行為をしたと言われている

・ アメリカは、もう敗戦が決定的な国に対して、大量破壊兵器を使用し、一度に数十万人の非戦闘員を殺戮した

。。。

これらは、「できるけど、やらないよね」と思っていたことを、実際にやってしまって、

しかもそれが勝利につながっている場合すらある例ではないのだろうか。。。

とすると、「できるけど、やらないよね」という基準は、どんどん低くなっているのだろうか?

もちろん、低くなっている面ばかりではなく、高くなっている面もたくさんあります。

その裏には、どういう法則が成り立っているのか、気になります。